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Yahoo!ニュース【ピンチをチャンスに】掲載されました

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職場・学校・家庭と人生の様々な場面で思わぬ落とし穴に落ちることがあるもの。そんなときに、「このピンチをどうやって乗り越えればいいのか」、さらには「ピンチをチャンスに変えることができればいいのに」と誰もが一度は思ったことがあるはず。

ラジオ番組『ピンチのあとにチャンスあり!』(ラジオ関西)では、そんな幾多のピンチをそれぞれ逆転の発想、挑戦する姿勢で乗り越えてきた、ひょうご・関西の企業経営者たちにスポットを当て、逆転の発想、挑戦する姿勢を生み出すヒントを探った。

「株式会社ヒラタ」代表取締役社長の藤田純さんは、中国・深センでのビッグプロジェクトを陣頭指揮していたときに開発に行き詰まり、八方ふさがりになった経験を持つ。職場内はケンカが絶えず怒号が飛び交う事態に。そこで藤田さんは、ある決断をした。

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ヒラタは、大阪に本社を置く精密機器部品の加工メーカーであり、商社。神戸と姫路に工場を持ち、海外では中国(上海、深セン、蘇州、天津)やベトナムに生産工場も展開。「心を込めたものづくり」にこだわり、OA機器やゲーム・AV機器の部品を国内各トップメーカーに納入しているBtoB企業だ。2020年には、コンシューマー事業として「ヒラタ北海道支店」を立ち上げ、2021年8月には「ヒラタ精密」が加わり、グループ会社は20社へと拡大している。

そんなヒラタ社やヒラタグループを率いる藤田さんは、千葉県出身の54歳。家電メーカーに勤めていたものの、35歳でヒラタに転職。その理由が「海外、特に中国で働きたい!」というもので、ヒラタの海外展開にあわせて香港、深センに駐在。ベトナム工場を立ち上げなど尽力し、6年前に三代目の代表取締役社長に抜擢された。

「人生ピンチだらけ」と笑う藤田さんが一番きつかったと振り返ったのは、2007年のこと。当時39歳。深センでのビッグプロジェクトに従事し、3月から10月までの10か月間で、休んだのは電気が止まった半日だけで、あとはずっと働き詰めだったという。

そのとき、開発が行き詰まるなか、藤田さんもスタッフも寝食の時間を削って課題に取り組むも、うまくいかず。疲れも募って職場内ではケンカが頻発。その結果、社内の雰囲気もさらに悪くなって、技術開発が進まない悪循環に陥っていた。

プロジェクトの責任者として「借りていた高層マンションから飛び降りた方が楽かな、と思った」という藤田さん。それでも、ある日、ひらめきで決心する。「うまくいくまで怒るのをやめてみよう」。

「プロジェクトのトップの僕が怒ると全部がボロボロになる。崩壊すると思った。だから、周りが怒っても僕だけは怒らないようにした。するとね、みんなも怒ることをやめていった」

怒号がなくなった職場は雰囲気が変わり、コミュニケーションも改善。課題だった技術開発も前に進み始める。

「みんなトップの振る舞いをみている。あのときに怒らないことの大事さを学んだ。『怒らないことのストレスは?』と聞かれるけど、毎日ものすごいトラブルの連続だったから、途中から笑うしかなくてね。気がついたらうまく回ってましたね。それがみんなの自信にもつながった」

海外で鍛えられた“ポジティブ思考”はその後も、社業の分岐点で発揮される。いまでこそ、世に出回っている大手のゲーム機などの中で使われるゴム部品をつくっているヒラタ。だが、もともとはゴム製品の商社がルーツ。ゴムの部品は海外の工場で発注していただけで、直接製造はしていなかった。

しかしあるとき、注文していた海外工場が、注文と全く違う材料で製造していることが納品先の検査で発覚。「もう会社が終わるかもしれない」(藤田さん)という危機感のなか、代わりの受注先を海外で探すが見つからない。万事休すか、というところで、藤田氏がまたしても決断する。「受けてくれるところがないなら、自社で作ろう。この部品が使われることがなくなるまで、最後の一個までうちで供給し続けよう」。

いまやヒラタのゴム製品は、事業で欠かせない存在にまでなったというが、「あのときの決断がなければ、いまもゴム製品をつくってはいない」と言い切る。まさに、ピンチのあとにチャンスありだ。

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